生命のホモキラリティー起源に迫る

1. はじめに

分子は、その構造の鏡像と重ね合わすことができない性質を示すことがあり、これを分子のキラリティーと呼び、そのような分子をキラル分子と呼びます。例えばアミノ酸には、D体、L体の鏡像異性体が存在しますが、生物を構成するアミノ酸は、片方の鏡像異性体のL体のみしかありません。また糖の場合、D体のみで生物は構成されています。これを生命のホモキラリティーと呼び、“何故、L体のアミノ酸を用いて生物は構築されたのか?”は、生命の起源にも関係する未解決の難問です。このホモキラリティーのために、生体に対して働きかける医薬品、香料、甘味料などにおける分子のキラリティーは極めて重要です。典型的な事例として、鎮痛剤として使用されたラセミ体のサリドマイドが薬害を起こしたこと(原因は(S)-サリドマイド)が挙げられます。また、香料メントールではL体のみが爽快感を与えること、グルタミン酸ではL体のみがうま味を与えること等もわかっています。一方、液晶などの光機能材料の観点からも分子のキラリティーは重要です。このような理由から、片方の鏡像異性体を選択的に合成すること(不斉合成)は、必要不可欠な科学技術であり、その研究は、現在でも盛んに行われています。

分子キラリティー
図1、分子キラリティー

2. 生命のホモキラリティーの起源は?

生命の起源にも関係する生命のホモキラリティーの起源は、未解決の難問ですが、 “自然に存在する現象のみで片方の鏡像異性体が作られ得るか?”という観点から、現在のところ、三つの候補が提案されています(G. H. Wagnière, On Chirality and the Universal Asymmetry: Reflections on Image and Mirror, VHCA, Wiley-VCH, Weinheim (2007). A. Guijarro and M. Yus, The Origin of Chirality in the Molecules of Life, RSC Publishing, Cambridge (2009).)。

その一つは、地球の自転運動による渦運動(コリオリ力)です。“本質的にキラルである渦運動により、片方の鏡像異性体が選択的に作られたのであろう”というものです。最近、石井研究室では、ロータリーエバポレーターのマクロな機械的回転による渦運動によって、右巻きまたは左巻きにねじれたフタロシアニン会合体を合成できることを見出しました。 関連ページ

一方、“光により片方の鏡像異性体が選択的に作られた”という考え方が、二つ提案されています。その一つは、“円偏光による光反応”です。これは、円偏光二色性(CD)分光法(左円偏光と右円偏光の光吸収差であり、分子のキラリティーに由来)を通して、良く知られた現象です。これは、“ラセミ体に右円偏光を照射すると、一つの鏡像異性体が選択的に光を吸収して反応する一方、もう片方の鏡像異性体は光を吸収しづらく反応を起こさないことから、片方の鏡像異性体が作られた”という考え方です。このような“光により片方の鏡像異性体が選択的に作られた”という考え方は、以下の研究から、有力な候補となっています。オーストラリアに落ちたマーチソン隕石を分析したところ、わずかではありますが、“D体に比べて、L体のアミノ酸が多かった”という研究結果が報告されました。これは、“宇宙における光反応により生成したL体過剰のアミノ酸が地球に飛来した”という仮説の根拠となっています。実際、宇宙には円偏光が存在することもわかっています。また、ほとんどの鏡像異性体がCD信号を示すことからも、円偏光による光反応は、生命のホモキラリティー起源を説明する重要な候補となっています。

もう一つは、磁気キラル二色性という現象です。磁気キラル二色性は、光学活性分子の光吸収が光の進行方向と磁場方向の平行・反平行によって変化する現象であり、Rikkenらの研究グループにより、希土類錯体のf軌道間遷移において、初めての磁気キラル二色性信号が観測されました(G. L. J. A. Rikken and E. Raupach, Nature, 390, 493 (1997).)。この効果は鏡像異性体間で逆転することから、磁場中では、片方の鏡像異性体が選択的に光化学反応を起こすこともわかっています(G. L. J. A. Rikken and E. Raupach, Nature, 405, 932 (2000).)。磁気キラル二色性の場合、①磁場が強ければ、エナンチオ選択性が非常に高まること、②宇宙には、大変強い磁場(中性子星は108~1012テスラ)が存在すること等から、磁気キラル二色性も、生命のホモキラリティー起源の候補の一つとなっています。近年、石井研究室では、有機化合物においても磁気キラル二色性が観測できることを実証しました。 関連ページ